今回は,大学生活と司法試験についてお話しましょう。
私が大学に入学した昭和46年当時は,全国的に学生運動が激しかった頃で,学内のいたるところでヘルメットを被った学生が気勢を上げて教授達を吊し上げたりするものですから,授業らしい授業はほとんどありませんでした。
今になれば,当時の学生運動は中国で毛沢東が始めた文化大革命の影響を受けたものであることが分かりますが,その渦中にいると,何も事情が分からず,ひどい混乱の中に放り込まれた気がしていました。
文化大革命が中国で破壊と犠牲を生んだように,学生運動も抗争を繰り返した挙げ句,浅間山荘事件という凄惨な事件を起こして終息していきました。
私には学生運動の是非を論評することはできませんが,人は正しいと信じることのためには破壊的にも残酷にもなるものだということだけは肝に銘じておいた方がよいと思います。
さて,大学生活も終盤の大学4年生の10月から司法試験の勉強を始めました。ちょっと遅れたスタートでしたが,少々の遅れなど誰も気にしなかった時代でした。
試験科目は,憲法,民法,刑法,商法,訴訟法,教養科目,選択科目で,択一,論文,面接に分けて,年1回,実施されました。
毎年約3万人が受験し,択一試験で約3000人,論文試験で約700名,面接試験を経て,最終合格者は約500名でした。
大学4年生の時に1回目の受験をしましたが,何も分からないまま択一試験で不合格となり,それから4回受験して,ようやく合格することが出来ました。
当時は,司法試験用の塾はありませんでしたので,毎日,図書館で勉強し,前年の合格者が開いてくれる答案練習会に週1回参加しました。
中々通ることができず,今年で受験を止めようと思って受けた司法試験の最後の日に,つい居眠りをして,試験会場までの電車を一駅乗り過ごしてしまいました。タクシーもなく,必死で試験会場まで走り,15分遅れで試験を受けさせてもらえて,何とかその年に合格することができました。この時,諦めていたら,おそらく弁護士にはなってなかったと思います。
私の合格順位は,約500人中での497番という,すれすれの合格でしたが,頑張った自分が誇らしく思いました。
最後に,合格した人と合格しなかった人の唯一の違いは何でしょう。優秀かどうか?イイエ。合格した人とは諦めなかった人だということです。
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