小さい頃は,幼稚園や保育園もなく,いきなり小学校に上がったものの,トイレット・トレーニングができておらず,教室でウンチやオシッコをする有様でしたから,子供心にも大変恥ずかしい思いをしていました。
しかも,男の子のトイレは,立って正面の壁に向かってオシッコをするのですが,足場が水なのかオシッコなのか,常に濡れていて,下手をするとオシッコ溜まりに落ち込みそうになるものですから,オシッコをする度に怖くて背中がすくみました。
授業中は,ノートに漫画を書くのに忙しく,先生が何をしているのか分かりませんし,また,何のために座っていなければならないのかも分からず,毎日がとても退屈で,6年間という小学生活があまりに長く,永遠に続くような気がしていました。
また,当時は体罰をする先生もおられて,先生がとても怖く,朝目が覚めると学校に行かなくてすむように熱でも出ないかと期待するのですが,全然そうならないし,ずる休みをしたら父親からどんなに叱られるか分からないし,ため息をつきながら,仕方なく,学校に出て行っていました。
そんな小学生ですから,成績もひどく,通知票で算数が2(当時は5段階でした)をもらった時には,父親から,この子はちょっと頭が悪いと言われて,気分が落ち込みました。
こんな小学生は,今で言うなら「落ちこぼれ」でしょうが,当時は自分が「落ちこぼれ」であることも分からなかったようです。
そんな私が,中学に進むとテストで良い成績がとれるようになり,高校,大学と進むうちに「田舎の秀才」のように見られるようになっていった(らしい)のです。
ただ,私にとっては,「落ちこぼれ」も,「田舎の秀才」も私ですから,「落ちこぼれ」と「秀才」の間にある壁は(それがあるとしても),とても低いもので,誰でも,その間を行ったり来たりし,それが普通なのだと,漠然と思っていたのです。
ところが,大人になって,回りの「秀才」の何人かに聞いてみると,小さい頃からずっと「秀才」であったと答えるので,そのようなことを聞く度に自分との違いに不思議な気持ちになるのです。
このコラムを読まれる方がいましたら,あなたにとって,「落ちこぼれ」と「秀才」の間にある壁はどのようなものか教えていただけないでしょうか。
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