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弁護士コラムを更新しました。安保法制強行採決から8年を振り返る (弁護士 松田幸子)

コラムをしばらく書けない日々が続きました。「忙しい」というのは「心をなくす」と書くんですね。「心をなくす」と「言葉」もなくします。ついでに「記憶」も簡単になくします。記憶をなくす前に書いておこうと思います。

安保法制違憲訴訟宮崎訴訟は2023年3月8日の福岡高裁宮崎支部判決を受けて、上告中です。全国で22の裁判所で、25の同種訴訟があり、7699名の市民が原告となり、1685名の弁護士が代理人となっています。 これまで突っ走ってきたことをつらつら振り返ってみました。
2015年9月19日に安保法が成立する直前までの国会周辺での大反対の国民行動、これに呼応する宮崎県民集会。思想信条を問わず、多くの人が戦争法に反対して行動しました。法成立直後の県民集会でも廃止に向けて行動するアピールを高く掲げました。その声を裁判所に届け、憲法の番人の役目を果たしてもらおうと言うのがこの訴訟です。元最高裁長官、元内閣法制局長官、日弁連と全地方弁護士会、98%の憲法研究者、法の専門家がこぞって「違憲」と指摘したこの法が違憲であることは明らかです。三権分立のもと、立法、行政が憲法を乗り越えたときに、「ダメですよ」という判断を下せるのは裁判所しかなく、権力の暴走を止め、国民の権利利益を守る役目が憲法に書き込まれています。憲法前文と9条で、戦争も武力行使も武力による威嚇もせず、日本だけでなく世界の人々が平和に生きる権利があるのだと宣言し、そのために日本国民が頑張ると誓ったのです。
頑張るやり方は、武力以外の方法、「話合い」です。それは国連憲章にも同じ考え方が示されています。
安保法制が暴力的な強行採決で成立した後の8年間、全国の訴訟で裁判所は「だんまり」を決め込み、違憲判断から逃げてきました。その間に政府は完全に憲法を無視して突っ走り、自衛隊は戦う自衛隊になり、日本全国が日米一体化した軍隊の出撃基地、訓練地になっています。ついに「敵基地攻撃能力」「反撃能力」まで持ち、軍事予算もGDP2%大幅増額という方針です。
日本国民の暮らしはどんどん悪くなり、貧しくなり、7人に1人の割合で子どもは毎日満足なご飯が食べられません。65歳以上の高齢単身女性の2人の1人は極貧レベルです。食糧自給率は38%、これではどこかで戦争が起こって食糧が入ってこなくなったら、攻撃される前に国民が餓死します。高齢者は医療が受けられない人もあり、いずれ死に絶えます。多くの日本人は貧しく、全体的な教育レベルも下がり、自信と希望がないので、新しい生命は産まれなくなります。国民の生活を大事にしない為政者に任せきりにしていると人口も減り「国を守る」国民も「守るべき」国民もいなくなるのではと思います。多くの人が何かがおかしいと思っているのだろうと思います。芸能人が「戦前」という言葉まで使うのですから。
この8年、「国民は忘れる」と誰かが言ったように、日常に紛れて、人々の関心も薄れてしまったのではないか、「よくやるな」「ご苦労さん」と冷笑され、大昔から政府の政治に反対意見を言う人を黙らせる定番の「『アカ』レッテル張り」されてしまうかな?などとついついネガテイブに考える日々もありました。

そんな私をいつも鼓舞してくれたのが、会議のたびにお茶の用意をしてくれる原告さん、資料を準備し印刷発送を引き受けてくれる原告さん、書面作成のためにタイピングを手伝ってくれる原告さん、欠かさず事務局会議に出て一役引き受けてくれる原告さん、陳述書を書いて、人生の様々と平和を願う心を伝えてくれる原告さん、そっと励ましをくれた賛同者の方々です。ある若い原告さんが「自分が死んでも平和を願う心は自分の行動を通じて残していける」と述べられました。若いときから「大人は何故戦争をとめられなかったのか」と考え続けてきた原告さん。「平和憲法を預かった私達には特別の責任がある」という原告さん。その豊かな感性や人間性に、ただただ感心するばかりです。そして、法律を仕事にしていながら、怠惰で臆病な自分が恥ずかしくなるのです。(宮崎の原告の声は鉱脈社「私は平話の中で生きたい」、同第2集として出版しました。)

そして、世論調査をみると、憲法9条を改正すべきと考える国民の割合は決して高くないことが分かっています。
一見表立って行動はしなくても、戦争したい人も、戦争の片棒を担ぎたい人もいないのだろうと思います。忘れているようで忘れていないのです。
日本の核兵器禁止条約批准を求める自治体の数も増えています(2023年10月13日現在670自治体)。また、アメリカの若者が日本への原爆投下を正しくなかったとする割合が正しかったとする割合を上回っているとも言われています。
ゆっくりではあっても世界は正しく賢明な方向に進んでいると思うのです。希望があります。(確か、パンドラの箱の最後に残ったのは希望でした。)
長く生きていると、同じ名言とか格言とかを何度か聞くことになっています。多分真実を含むからでしょう。繰り返し、繰り返し、何度も同じことを見る機会があるということは自分自身も人間社会も進歩がのろいからでしょうか。

(ベンジャミンフランクリン)
良い戦争、悪い平和などあったためしはない。

(ドイツ ワイゼッカー演説)
「過去に盲目な者は現在にも盲目」

(ニーメラー)
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

(田中優子)

人権とは、いかなる人であっても生きて人生を全うする権利

(チャールズ・ティリー)「War Making and State Making of Organized Crime」
protection racket:「自分で脅威を作り出し、その脅威を減じてやるから金を出せという態度」(protection:守ってやる・racket:ゆすり恐喝)
例えば政府が市民を守ろうとしている脅威が架空のものであったり、実際には政府の活動が引き起こした結果であったりするならば、それは「守ってやるぞ詐欺」。そして「多くの政府は本質的にゆすり屋と同じことを行っている」

 

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