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弁護士を志すまで(その1)(弁護士 真早流 踏雄)

  • 2012.3.15

今回が第1回目のコラムですし,弁護士を始めてから30年が経ちましたので,私がなぜ弁護士になったのかについてお話しします。
高校生の頃,当時美大を志していた私は,毎日,美術部で石膏デッサンに明け暮れていました。高校2年生になり,進路を決めなければならなくなりました。美術の先生から,「普通の美大だったら通るよ。」と言われましたが,その頃になると美術の才能が無いことが分かってきました。そこで美大はやめて普通の大学を受けることにしました。今では正しい選択だったと思います。
そこで,美大以外の大学をどうやって決めるかが私にとって大問題になりました。私の得意な科目は数学で,担任の先生からは工学部に進むことを勧められました。しかし,数学は勉強するから成績が良いが勉強しないと直ぐに分からなくなってしまうのに文化系の科目は普段勉強しない割にはあまりひどい成績をとることもありません。そうするとどっちが私に向いているのかと迷ってしまい,決断が出来ませんでした。
迷っている内に進路決めの時期がきて,担任の先生からは,毎日のように催促されるようになりました。
何人かの先生とも相談し,父の意見も聞くのですが,どうしても決断ができません。皆さんは,とても親身に相談に乗って下さるのですが,必ずと言って良いほど最後に「決めるのはあなたですよ。」と言われるのです。それは当然なのですが,その言葉が出ると,私の中に「それが決められないからあなたに相談しているのです。」という思いが湧いてくるのです。
そのようなことが続き,どうしても決められないため,突然,旅に出たら決めることができるかも知れないと思いつきました。そこで,母から2000円出して貰い,友達から寝袋を借り,福岡に展覧会を見に行ってくると母に告げて,家を出ました。
世間知らずとはこういうことでしょうか,当時,私は福岡がどこにあるのかも知らず,ただ歩いて行くとその先にあるものぐらいに思っていました。そこで,てくてく1時間も歩くと,南に向かっており,さすがに方向が違うと気づき,再び歩いて今来た道を折り返し,もう1時間も歩くと疲れてきました。
これではとても福岡まで行き着けないと考え,ヒッチハイクをすることにしました。止まってくれた車で延岡まで乗せていってもらい,延岡で歩いていますとトラック会社が目につきました。そこでトラックの運転手さんにお願いして福岡まで乗せてもらいました。車中,運転手さんと進路について迷っていることなどを話しながら,何とか福岡に着くことができました。
福岡に着き,お目当ての展覧会を探すと来週であることが分かり,がっかりしました。仕方なく,自分が行くことになるかも知れない大学の構内を散策し,帰途につきました。
帰りの道中,どこの駅だったか記憶がはっきりしませんが,駅の構舎に駅長さんに頼み込んで泊めてもらいました。行きずりの私に食事をご馳走して下さった運転手さんもいて,人の情けや親切が身にしみました。また,宗太郎峠付近をとぼとぼ歩きながら,「人生の幸福とは平凡ということだ。平凡な毎日の何と幸せなことか。」と思ったりもしました。